人生をコンテンツ化する。

頭の中に浮かんだことを勢いにまかせてすごく適当に書く。

まだまだテレビや新聞の世界

テレビをほとんど見ない生活をしています。その代わりにネットには毎日接続してます。寝てるとき以外は家にいる限り接続してるはずです。

 
こんな生活をかれこれ7〜8年続けてるので、ネットでの言説が世間の常識だと思うようになってしまいました。
 
たとえば、新聞やテレビはオワコンという言説。これなんか、典型的なネット、とくに2ちゃんやはてな界隈での言説だと思うんですけど、でもこの仕事やってて思うのは、影響力という点では全然テレビ、新聞はオワコンじゃないし、むしろネットは現実世界で影響力なさすぎってことです。
 
結局、本を一番売る方法って、テレビで紹介されるか、新聞に広告載せることなんですよね。
 
たとえは、テレビだと王様のブランチのベストセラーランキングとか、もう終わってしまったけど、エチカの鏡とか。そういった番組で、本のことが紹介されたり。新聞で言えば朝日新聞とか日経とかに全五段、半五段と呼ばれるような大きな広告が掲載されるとか。
すると、翌日には注文が殺到したりするわけ。
 
反対に、その本の書評がネット住人に大反響で何百もブクマがついたり、ホッテントリ入りしたりしても、ぜーんぜん本が売れない。
 
そんな光景を、今の会社に入ってから何度も見てきた。
 
だから、結局今だに新聞、テレビが圧倒的なんだなと。
 
そんなことを担当した本がまったく売れない夜に思った。

この会社に勤めててマイホーム持てるのか?

マイホームを購入するか、それともこのままずっと賃貸でいくのか、夫婦で話し合ってる。もちろん今すぐというのはムリなので、将来の話だ。

それで、気になったので勤めてる会社の社員が持ち家に住んでるのか、それとも賃貸に住んでるのか調べてみた。

結果は、既婚者のうち6割が賃貸だった。ただし、残りの4割の中には地方勤務の社員が含まれている。
なので、本社勤務である首都圏在住の既婚者だけだと、賃貸の割合はもっと高くなると思う。

住宅に関しては賃貸派とマイホーム派が、まるできのこの山とたけのこの里のようにバトルしてるらしいけど、不景気・少子化などの影響で賃貸を選ぶ人、あるいは仕方なく賃貸に住んでいる人が増えてきてるのかもしれない。

というか、俺、この会社で働いてるかぎりマイホーム持てなそうだな…。




自己啓発書を作ってるけど自己啓発とか興味ないです。

自己啓発書を作っているので、「成長」とか「スキルアップ」といった言葉にあふれている日常を送っています。おかげで、成長することやスキルアップすることが正義で、それを強要されているような気分になってきます。

でも、俺は成長したいわけじゃないですし、スキルアップもしたくないです。ほんのちょっとだけ「やっぱスキルアップ必要だろ」と思った時期があって、少しやってみたことはあるけどまったく楽しくありませんでした。というか、すごくめんどくさかったです。ぬるま湯、マッタリ最高です。

成長・スキルアップとかには興味ないけど、いろんなことはやってみたいと思ってます。書籍編集者という仕事はとても楽しいし、いろんなことを学ぶ機会にあふれています。ですが、10年後も20年後もこの仕事をやっているのかと思うと、気が狂いそうになるんですよね。ライターもやってみたいし、webの仕事もしてみたい。ラジオや映画の仕事もしてみたい。○○コンサルタントもやってみたいし、セミナー講師もやってみたい。
仕事でいろんな職業の人に会いますが、そのたびに彼らがやっていることをやってみたくなります。

書いていて気づいたんですが、たぶん成長することやスキルアップすることを目的にするのが嫌なんですね。そうじゃなくて、いろんなことをやるようになった結果として、成長やスキルアップしているというのが正しい姿なんじゃないかな。

すぐに反論できるようになりたい。

人の意見や命令に対して、その場ですぐに反論できなくて、いつもストレスが溜まります。

たとえば、先日こんなことがありました。

そのとき俺は担当しているコミックエッセイのサブタイトルを考えていました。そして、ない頭をひねって数十個のサブタイトル案を考え出した末に、「これ以外考えられない」と思えるサブタイトルを思いつきました。
しかし、サブタイトルの決定にはタイトルや帯のコピーと同様に、編集長の決済が必要です。そこで、次点のサブタイトル数個と一緒に編集長に提出しました。

すると、編集長から「一から考え直して。サブタイトルに普通『コミックエッセイ』っていうフレーズは入れないよ。ビジネス書とかでもそうでしょ。」と言われてしまいました。

そのとき提出したサブタイトル案のなかに、「◯◯な◯◯コミックエッセイ」というものがあり、編集長はそれについて言ったのです。

実は俺は編集長が否定したこのタイトルこそが最も相応しいサブタイトルだと思っていたので、思わず反論したくなりました。
でも、その言葉が出てきません。反論する理由がとっさに出てこないのです。

いつもそうで、しばらくたってから反論の根拠や理由が頭を駆け巡ります。今回も後から思えば、いくらでも反論できました。

たとえば今回はコミックエッセイなのだから、ビジネス書のセオリーは通じないと主張できたと思います。
あるいは、ここ最近いちばんヒットしたコミックエッセイの『日本人の知らない日本語』のサブタイトルにも「コミックエッセイ」というフレーズが入っているのだから、ぜんぜんおかしくない、と反論することもできたでしょう。

もちろん俺の考えが間違っていて、上司の考えの方があっているかもしれないです。自分が絶対に正しいとは思いません。しかし、反論しようと思えばできるくらい、編集長の主張も根拠が弱いと思いました。

それなのに、その場で反論が出てこない。
これをどうにかしたい、つくづくそう思いました。