人生をコンテンツ化する。

頭の中に浮かんだことを勢いにまかせてすごく適当に書く。

本のタイトルは誰のもの?

Questions?
Questions? / Valerie Everett

本づくりの過程で、編集者と著者で意見が食い違うことはよくあります。とくに揉めるのが「タイトル」についてでしょう。

「タイトル」は本の売れ行きに最も影響を与える要素です。ぶっちゃけ、内容が面白くなくてもタイトルで売れてしまったという本はけっこうあります。それだけ重要ですから、両者の意見がぶつかることは日常茶飯事です。

こちらが提示したタイトルに著者が難色を示し、著者が提案したタイトルに対しこちらが難色を示す。議論は平行線をたどり、結論は出ないーー。
そんな経験を何度もしました。

おそらく、多くの人は本のタイトルを決めているのは著者だと思っているでしょうが、じつは出版社側が決めています。この話には過去にも言及しています。

そろそろ本にまつわる2つの大きな誤解について語っておくか - 人生をコンテンツ化する。

出版社は、自分たちが本を作ることと売ることのプロフェッショナルであること、在庫を抱えるリスクを抱えていること、本を出すか出さないかの決定権を自分たちが持っていることなどを理由に、タイトルを自分たちで決めようとします。
一方で、著者には著作権があります。自分の本なのに勝手にタイトルを付けられるのは納得できないでしょう。納得できないタイトルでは、刊行後の販促活動にも力が入らないでしょうし、胸を張って人に薦めることもできない。だから、出版社側に勝手にタイトルを付けられるのを嫌がります。

議論の末、最終的には著者に納得してもらえることがほとんどです。ですが、ごく稀に折り合いがつかず、刊行中止いなることもあります。経験上、出版社側が折れ、著者の意見が通るということはほとんどありません。

出版社としては刊行中止も辞さない構えですが、編集者個人としては複雑です。
長い時間かけて取り組んできた本に対して思い入れがありますし、膝を突き合わせ一緒に本を作ってきた著者に対して友情を抱いている場合もあるでしょう。そもそも著作権は著者にある。それらを考えると、「じゃあ出版やめましょう」とは気軽に言えません。

一方で、経験と仕事に対するプライドから、こちらが提示するタイトルにした方が絶対に売れるという確信があります。また、会社の方針でそう決まっているということもあるでしょう。だから、どうにかして著者を納得させたい。

良い本、売れる本を作るためには著者を納得してもらわなければならない。そのためなら刊行中止もちらつかせる。でも、刊行中止だけは絶対に避けたい。そんな葛藤をすることになります。

で、そんなときふと思うわけです。
タイトルって著者のものなのか、あるいは出版社のものなのか、どっちなんだろうって。

スティーブ・ジョブズが大川隆法に召喚されることを2年前に予想していた件

今日いちばんの衝撃的ニュースはこれですね。

ついに、ジョブズ大川隆法に召喚されたようで、はてブでもいろいろとコメントされています。

はてなブックマーク - Amazon.co.jp: 公開霊言 スティーブ・ジョブズ 衝撃の復活: 大川 隆法: 本

で、なんか既視感あるなーと思ったら、2年前にこんなことをツイッターに書いてました。

すっかり忘れてたけど、まさか当たるとは…。

危険な仕事と家族、あるいはカルト宗教を追う夫とその帰りを待つ妻について

前回のエントリを書いている最中に思ったことがありました。そのときは面倒くさくて書かなかったんですが、時間ができたのでメモ代わりにブログに書いておこうと思います。

「カルト宗教」取材したらこうだった (宝島SUGOI文庫)

「カルト宗教」取材したらこうだった (宝島SUGOI文庫)


何を思ったのかというと、仕事と仕事がもたらす危険についてです。

よけいなお世話なのかもしれませんが、この本には著者のあまりの緊張感のなさに心配になってしまうエピソードがいくつか出てきます。

たとえばこれ。
ベストグループという団体から抗議され、教祖と直接対決をすることになった著者とY弁護士。相手が金粉を降らせたり、手をかざしただけで病気を治す力を持っていると知り、対策を立てます。

東急ハンズでいいものを買ってきました」
私が取り出したのは、マギー審司の手品で人気だった、ゴム製の大きくなる耳と大きな親指。
(中略)
「敵が金粉を降らせたら、こっちは耳と指を巨大化させる超能力で対抗すればいいんです。大丈夫、勝てます!」
準備は全て整った。Y弁護士は大きな耳を隠し持ち、私は大きな指を隠し持って、会談に挑んだ。
p.157-158

相手を相当おちょくるつもりでなければ、こんな仕込みはできないと思います。「カルト宗教=オウム=洗脳・犯罪」という図式が頭の中にある俺には、到底無理です。もちろん、カルト宗教を長年追いかけている著者だからこそできる芸当なのかもしれませんが。

俺だけでなく、多くの人はカルト宗教に対して「敵視されたら問答無用で即ポアされる」というイメージを持っているのではないでしょうか。実際、本書の中でも以下のようなエピソードが出てきます。

とある雑誌のインタビューのために、ひかりの輪の広報担当者へ会いに行くことになった著者。取材に向かう道中、著者は同行した担当編集者にこんな話をします。

「オウムって、むかし滝本太郎弁護士との話し合いの席で、飲み物にボツリヌス菌盛ったらしいっすよ。それで、去年、滝本弁護士がひかりの輪の広報担当の広末さんを名指しして、“彼は私にボツリヌス菌を飲ませるために旅館を予約した人物”と発言した。(以下略)」
この日のインタビューについて連絡窓口になってくれたのも、ひかりの輪の広報担当(現在副代表)の広末晃敏氏だった。
p.96

この話を聞いた担当編集者は緊張してしまい、インタビュー中は一切飲み物に手を付けなかったとのこと。著者は出された飲み物をガブガブ飲んだそうですが、それは例外で、たいていの人のリアクションは担当編集者と同じでしょう。

この本の著者にかぎらず、カルト宗教を長年追い続けているジャーナリストって本当にすごいと思います。
本書を読んだ後でも、彼らが何をしてくるかわからない恐ろしい連中であるというイメージを私はぬぐえません。そういった連中を取材し、ときに彼らのウソや悪事を報道するということは、逆恨みや報復をされるかもしれないということです。現に、著者はカルト宗教団体から抗議や訴訟を起こされています。幸い、まだオウムのようなヤバい連中からは逆恨みを買ってなさそうですが、最悪の場合、坂本弁護士一家のようなことにもなりかねません。
そう考えると、カルト宗教を取材対象として追いかけ続けるというのは、並大抵のことではないと思います。

家族の理解も欠かせないでしょう。
私事ですが、わが家はマンションの1階にあり、毎夜、上の階の住人の足音に悩まされています。深夜の1時、2時までドタドタと走り回る音がするので、何度か怒鳴り込もうとしたり、ほうきの柄で天井を叩いたりして警告しようとするのですが、その度に妻が「逆恨みや仕返しをされるかもしれないからやめて」と言い、泣き寝入りしています。

程度は違うでしょうが、カルト宗教を追いかけ続けるというのはこういうことなのかなと勝手に思っています。そしてそれは、妻の心情も。そういう意味で、カルト宗教を追い続ける夫を持つ、著者の奥さんがどう思っているのか聞いてみたくなりました。毎日、夫が無事に帰ってくることを心配しているのか、それとも正義のために夫の活躍を喜んでいるのか。欲を言えば、文庫版あとがきとかでそのあたりに触れてほしかったです。

カルト宗教とスピリチュアル

ネタ不足に困ったり、書くのがめんどくさくなったときにできることといえば、ブログのデザインを変えたり、プロフィールを書き換えたりすることぐらい。というわけで、前回書いた「自分が編集者に向いていない理由」についての詳細を華麗に放置しつつ、ブログのデザインを変えてみました。

そしたら、昨日読み終えたこの本『「カルト宗教」取材したらこうだった』について話したくなったので、今回は久しぶりに本について書こうと思います。
ただ、先に断っておきますが、いつものようにまとまりのない文章になってます。

「カルト宗教」取材したらこうだった (宝島SUGOI文庫)

「カルト宗教」取材したらこうだった (宝島SUGOI文庫)


著者は大学在学中に自己啓発セミナーの取材を始め、現在はカルト宗教をメインに追っかけているフリーのジャーナリスト。ネット上では「やや日刊カルト新聞」の中の人と言った方が有名かもしれない。
その著者が自分がどういう経緯でカルト宗教を取材するようになったのか、これまでどんなカルト宗教を取材してきたのか、そしてカルト宗教とどのような攻防を繰り広げてきたのかをまとめた1冊です。

読んで思ったのは、スピリチュアル系書籍の著者・ファンとカルト宗教の教祖・信者は似ているなということ。うまくいえないんですが、どちらも自分たちだけの「世界を構築するルール」みたいなものを作って信じているところが同じかなと。違いはそれを布教、あるいは勧誘しようとしているかしていないかくらいだと思います。

しかし、カルトと呼ばれる団体は、しばしば人々の笑いを誘う。カルト被害者ですら、カルトの実態を語るとき、ときおり笑い話が交じる。私自身、取材しながら笑ってしまったことも幾度となくある。
p.36

突拍子もない主義主張をしているという意味では、カルト宗教もスピリチュアルも同じでしょう。
治療と称して信者をミイラ化させたライフスペースや共産主義者からのスカラー波から身を守るために白装束をまとったパナウェーブ研究所と、水にありがとうと言うと綺麗な氷結晶ができると主張する水伝や波動などのスピリチュアル。大差ないように見えるし、どちらも思わず笑ってしまいます。
カルトとスピリチュアルの境界はあいまいかつ密接です。今、書店に並んでいるようなスピリチュアル本の著者がいずれカルト宗教の教祖化していくことは十分ありえるように思いました。

俺が勤める会社はスピリチュアル系の本も出しているので、自然とそっち系の人とも出会うことが普通の人より多く、すっかり当たり前になってしまっていたのですが、これを機会にもう少し彼らを客観的に見てみます。