人生をコンテンツ化する。

頭の中に浮かんだことを勢いにまかせてすごく適当に書く。

Kindleがあれば何時間でも風呂に入れる。

Kindleのおかげで、いま風呂の時間が楽しくて仕方がない。お湯につかりながら読書するのがこんなに楽しいとは思わなかった。
そんなわけで、Kindle所持者は今すぐ風呂読書をするべきだと思う。

風呂でKindleを使う方法
Kindle Paperwhiteを用意する。
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ジップロックに入れる。
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③お風呂で読書する。

ビニール越しでもちゃんとタッチパネルは反応する。Kindleすごい!
ちなみに、自宅を無線LAN環境にしておけば風呂でもwifiが使えるので、続編なんかもガシガシ買える。そしてますます入浴時間が長くなる。

自分の不幸を実況するメンタル

これから書くことは、いつものように思いつきレベルなので自分の中でも結論が出ていません。そのため、このブログを書き終えるころにどのような話に行き着いているのか、それどころか結論が出るのかすら、わからないです。


先日、ある声優のファンが、その声優の結婚を知ったことで自殺をほのめかすツイートをツイッターに投稿して、話題になっていました。

自分が長年好きでいたもの、追い続けてきたものがなくなったり、手に入らないとわかったときというのはとてもつらく、悲しいことです。俺は声優オタクではありませんが、彼と同じように情熱を注いでいるものがあります。だから、自殺したくなる気持ちもわかります。

でも、そうした自分の不幸をツイッターに投稿するというのがよくわかりません。
どういうことなんでしょうか?

だって、自分のそのときの感情や思いを文章化するというのは、それなりに冷静で客観視ができていないと難しいことだと思うからです。
一方で、自殺をしたくなるくらいの不幸に見舞われたとき、俺は冷静でいられる自信がありません。もちろん、そういうときに冷静でいられる人もいるのでしょうが、ちょっと考えにくいです。

その後、彼は発言を撤回し自殺を思いとどまったらしいので、ネタだったと考えられなくもないですが、それ以前のツイートを見るとそれも考えづらいです。

お前の基準で物事を考えるなと言われたらそれまでなんですが、それにしても俺にはこの矛盾(といっていいのかわかりませんが)が気になって仕方がありません。

いま思いついたんですけど、もしかしたらツイッターSNSを介すと人は冷静になれるのかな?
報道カメラマンは、たとえ凄惨な事故現場であっても、レンズ越しだと冷静になれるという話を聞いたことがあるけれど、まさにそんな感じで。

もしかしたら、俺たちはPCやスマホのディスプレイを通して、自分の不幸さえもネタ化できるようになったのかもしれませんね。

休日に仕事をすると平日よりはかどるのはなぜか?

休日に仕事をする場合、昼すぎから始めることが多いんですが、
夜までには平日と同じ量の仕事を終えています。

一方で、平日は9時ごろから仕事を始めているのに、夜まで働かないと終わりません。

この9時〜昼ごろまでの時間分の差はなんだろうか?

と考えたんだけど、たぶん事務作業や上司に頼まれた雑用の差なんでしょうね。

だとしたら、会社に行かない方が仕事が進むわけで、
なんのために毎日、満員電車に揺られて通勤しなきゃいけないのかわからなくなります。

自己実現のために働いていた人が仕方なく働くようになったとき

それまでやりがいや夢の実現、目標達成を目指してバリバリ働いていた人間が、給料のため仕方なく、あるいはプライベート優先の価値観に変わったとき、どうすりゃいいんでしょうか。


俺はここ1年半ほどで仕事に対する考え方が大きく変わりました。

以前は夜遅くまで働くし、休日出勤も当たり前で、プライベートよりも仕事優先の価値観でした。
もちろん嫌々ではありません。むしろ率先して長時間働いていたくらいです。やりがいを感じていたし、仕事を通じての自己実現がすべてだと思っていたんです。

でもそれは、結婚とストレスのせいで発症した難聴、それとロードバイクという趣味に目覚めたことで、180度変わりました。

なぜ価値観が変わったのか、その詳細は別エントリで書きますので、ここでは省きます。

とにかく、仕事なんてプライベートを犠牲にしてまでやるもんじゃないし、ましてや健康を害してまでやる必要のある仕事なんて絶対にない。と思うようになったんです。
仕事はするけど、それは生きてくために仕方なくやるだけで、これまでみたいな自己実現としての働き方はしない、と言い換えてもいいと思います。

で、ここからが本題なんですが、そうやって自己実現思考からプライベート優先思考に変わったんですけど、仕事がそれを許してくれなくて悩んでいます。

まあ簡単にいうと、忙しいんですよね。残業や休日出勤しないと終わらないくらいの仕事量で、考えを働き方に反映させる暇がありません。

あと、職種的にも自己啓発的な働き方を求められるというのもあります。平日の夜や土日にセミナーに出たり、土日に取材したり。ほかにもいろいろあるんですが、専門的な話になるので割愛しますけど。

会社が小さいこともそれらに拍車をかけている気がします。

とにかく、価値観と仕事や会社がずれていて、けっこうストレスです。
そのストレスも鬱になるような強烈なやつではなくて、じんわりじんわりと真綿で首を絞められるような緩やかなものなので、その時は「まあしょうがないか」と思えるんですが、気がついた時には手遅れになっていそうで怖いです。

たぶん、俺と逆パターンの、プライベート優先思考から自己実現思考へ変わる場合はここまで悩まないと思うんですよね。だって、ただやればいいだけだから。

どうしたもんかね……。

同業者との飲み会に行くと仕事論の話になってつらい

忘年会シーズンだ。

出版業界は、会社を飛び越えた横のつながりが強いので、年末年始は他社の人間と飲むことが多い。
編集者は他社の編集者と、営業は他社の営業や書店員と飲み、そうして情報交換や親睦を深め、そこでできたつながりを日常の業務へと活用していく。
だからまあ、仕事ではないけど、出版関係者には大事な活動なのかもしれない。

でも、俺のスケジュール帳には今シーズン、1件も忘年会・新年会の予定が入ってない。空白だらけだ。スッカラカンだ。
もちろん社内の飲み会はある。でも、社外の人と、同業者と、飲む機会はゼロ。

先輩や上司はそういった集まりに参加するので、当然俺一人だけ会社に取り残されるなんてことがよくある。
そのときの感情は羨ましいというか、何というか、いろいろな気持ちが混在してて複雑だ。

ただ、これは今シーズンに限った話ではなくて、編集者になって以来、ほぼ毎年のことなんだ。
最初のころはこの状況に悩んだりもしたけど、別にそういった集まりに参加しなくても本は作れるので、気にしなくなった。売れてないけどね……。

なんで同業者の飲み会に行かないかというと、誘われないから。かといって、幹事をやるほどの甲斐性もない。

端的に言って、コミュ障なんだと思う。

同業者と名刺交換する機会はあるのだけど、そっから仲が深まったりしない。
同僚の話を聞くと、名刺交換するたびに仲良くなって、飲み会が開かれるたびに誘われてるみたいだけど、それ本当に現実の話か?夢じゃねえだろうな?俺はそんな経験一度もないぞ。

とは言っても、一度も参加したことがないわけではなくて、過去に何度か誘われたことがある。
でも、正直、楽しくなかったんだよね。あれだけ誘われないことに悩んでて、必死になって参加したのに。

あと、同業者の飲み会は憂鬱なので無意識というか、半自覚的に避けてるというのもあると思う。

この業界は総じてコミュ力の高い人が多い。世間もそんなイメージを抱いていると思うけど、だいたい合ってる。
とくに飲み会に来るようなやつは、俺からするとコミュ力のお化けみたいなのばっかりだ。もしかしたら勝手な思い込みなのかもしれないけど。
小学校から大学まで常にスクールカーストの最上位にいたような人たちばかりで、ずーっと非モテ・コミュ障クラスタだった自分からすると、眩しいような憎くたらしいような…。

あと、これが本題なんだけど、編集者同士の飲み会って必ず仕事論やベストセラー論になるんだよね。あの本はこうやって作ったとか、これから出すこういう本はこうやって売ろうと思ってるとか。
まだヒットを出せていない俺からすると、そういったときにどう振る舞えばいいのかわからなくて困る。
もちろんヒットの秘訣を聞けて嬉しくはあるんだけど、意見を求められたりされても困るし、したり顔で語ることなんてもちろんできないし。あと、自分のダメな部分や努力不足な点を再認識させられて、自己嫌悪がすごくなる。
1冊でもベストセラーを作ったら、どうでもよくなることなんだろうけど、気にせずにはいられない。

とまあ、この時期は飲み会で憂鬱だ。仕事に関係のない飲み会や編集者のいない飲み会だと気にならないんだけど、とにかく自分のコンプレックスを刺激される。

ただそれだけの話。