自分の不幸を実況するメンタル
これから書くことは、いつものように思いつきレベルなので自分の中でも結論が出ていません。そのため、このブログを書き終えるころにどのような話に行き着いているのか、それどころか結論が出るのかすら、わからないです。
先日、ある声優のファンが、その声優の結婚を知ったことで自殺をほのめかすツイートをツイッターに投稿して、話題になっていました。
自分が長年好きでいたもの、追い続けてきたものがなくなったり、手に入らないとわかったときというのはとてもつらく、悲しいことです。俺は声優オタクではありませんが、彼と同じように情熱を注いでいるものがあります。だから、自殺したくなる気持ちもわかります。
でも、そうした自分の不幸をツイッターに投稿するというのがよくわかりません。
どういうことなんでしょうか?
だって、自分のそのときの感情や思いを文章化するというのは、それなりに冷静で客観視ができていないと難しいことだと思うからです。
一方で、自殺をしたくなるくらいの不幸に見舞われたとき、俺は冷静でいられる自信がありません。もちろん、そういうときに冷静でいられる人もいるのでしょうが、ちょっと考えにくいです。
その後、彼は発言を撤回し自殺を思いとどまったらしいので、ネタだったと考えられなくもないですが、それ以前のツイートを見るとそれも考えづらいです。
お前の基準で物事を考えるなと言われたらそれまでなんですが、それにしても俺にはこの矛盾(といっていいのかわかりませんが)が気になって仕方がありません。
いま思いついたんですけど、もしかしたらツイッターやSNSを介すと人は冷静になれるのかな?
報道カメラマンは、たとえ凄惨な事故現場であっても、レンズ越しだと冷静になれるという話を聞いたことがあるけれど、まさにそんな感じで。
もしかしたら、俺たちはPCやスマホのディスプレイを通して、自分の不幸さえもネタ化できるようになったのかもしれませんね。