人生をコンテンツ化する。

頭の中に浮かんだことを勢いにまかせてすごく適当に書く。

「合意」は創作物の敵だ

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ネガティブコメントのないインターネットなんて、◯◯のない××だと思います(◯◯と××にはみなさんのお好きなものをお入れください)。

最近、俺のはるか上空、神々の住まうブログ天上界で何やらブログ論がアツいようですね。
ネガティブコメントに傷ついてブログを更新するモチベーションが下がったとか、そんなことにいちいち傷ついてんじゃねぇ、とかなんとか。

炎上・注目されるような記事なんか書けないし、それどころかそもそもアクセス数が限りなくゼロに近い俺なんかがブログ論語るとかおこがましいんですけど、とりあえず思ったことを後先考えずに垂れ流させていただきますね。

炎上の可能性を極力排除したり、誰からも批判されないように整えた文章ってつまらないし、書く意味もないと思います。

誰からも批判されないように書くっていうのは、なるべくたくさんの人から合意を得て書くということだと思うんですけど、そうやって作られたものってたいてい「普通」になってしまいます。「平均」に近づくと言ってもいいかもしれません。

平均、普通、当たり障りない。言い方はなんでもいいですが、そんなもののどこに魅力や面白さがあるんでしょうか?

それらは、誰からも批判されませんが、誰からも賞賛されません。つまり、誰の心にも響かないということです。
「合意」は創作をする上では敵だと思います。

たとえば、俺の仕事である本作りがそうです。
本のタイトルというのは多数決で決めたり、みんなの意見を寄せ集めて考え出されたものほど凡庸でつまらないです。だから売れません。
デザインもそう。社内でどちらのデザインがいいか多数決を取ったりしますが、最終的には編集者1人の判断で決まります。
人の意見を排し、一人の独断で作ったものの方が多くの人に受け入れられるというのも不思議な感じがしますが、いずれにせよ多数決が正義ではないんです。

俺は、どうせ作るんだったら誰かの心に響くものを作りたいです。そのためだったら批判されてもかまいません。

だから、炎上とか批判を気にして、当たり障りのない記事を書かないし、批判されてもいいから自分の独断と偏見で文章を書いているつもりです。

貴重な時間を費やしてブログを書くのであれば、少しでも読者の心に響くものにしたくありませんか?
だったら、炎上しても良いし批判されても良い、そう思いながら書きましょうよ。